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​ゲシュタルト療法

enのアプローチの基盤となっているゲシュタルト療法について、簡単に解説します。

の方にも必ずゲシュタルト療法のアプローチを行うわけではありませんが、enの大切にしている人間観や哲学の一つになります。

頭で知的に理解するよりも、体験的な要素が大きいものですが、一つの参考になればと思います。専門的な内容も含まれるので、もし興味をもたれたら読んでみてください。

ゲシュタルト療法は「今、ここ」での気づきを大切にする体験的な心理療法です。

「今、ここ」の現時点に表れている「未解決な問題」に焦点を当て、気づきを促すアプローチをとります。そのなかで、本来の自分の感情や欲求に気づき、自分自身を満たし、サポートできる方法を身に着けることを目指します。

 

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「ゲシュタルト」とは「全体性」「完結」「統合」という意味を表すドイツ語です。「人間が物事を知覚するとき、個々に無関係な存在として知覚するというよりは、意味ある全体として統合して知覚する傾向を持っている」というゲシュタルト心理学の考え方に由来しています。そのほかにも、精神分析、現象学・実存主義といった哲学、禅などの影響を受けています。

アメリカやヨーロッパ、オーストラリア、南米などでは盛んに取り入れられています。日本でも近年は広がりつつあり、また「認知行動療法」や「クライアント中心療法」をはじめとしたさまざまな心理療法に、ゲシュタルト療法を取り入れたアプローチが導入され、臨床場面での有効性が示されています。心理療法の一つの源流ともいえるアプローチです。

 

気づきの3領域

ゲシュタルト療法では、気づきを3つの領域に分けてとらえます。

 

①内部領域の気づき:自己の世界(身体=精神)への気づき。呼吸、筋肉、姿勢、動作などの身体的な側面と、感情、気持ち、気分、精神、心を含めた精神的領域。

②外部領域の気づき:現実の世界への気づき。見て気づく(視覚)、音で気づく(聴覚)、触れて気づく(触覚)、においで気づく(嗅覚)、味で気づく(味覚)。

③中間領域の気づき:思考や想像、知識など脳のプロセスで起きている領域への気づき。物事を解釈したり判断する、過去を思い出す、未来について想像する、など。現実(外部領域)と心身(内部領域)の中間にあることからこのように呼ぶ。

 

この気づきの3領域を、自然に行き来している時、私たちは健康に自分の機能を使うことができていますが、ここに偏りが生じるとき、問題が起きると考えます。

特に私たちは社会の中で教わった価値観やルール、知識、情報に基づいて生きています。また、自分自身についても「私はこういう人間だ」という自分のイメージ・概念を持っています。そうすることが適応的に、安全に世の中で生きるために必要であると学んだからです。しかし、そのような中間領域の世界にあまりに偏ってしまうと、自分自身や、他者、世界のありのままを経験することが難しくなってしまいます。現代人は、特にその傾向が強いといえます。

たとえば、“怒りを表現することは危険で、認められないことだ”と幼いころに家族や学校で学んだ子どもは、大人になってもそのルールを守って生きます。そして、たとえ理不尽だと思う状況に陥っても、怒りを表現することができません。それどころか、「怒りを感じる自分はダメな人間だ」と自分を責めるかもしれません。しかし、本来怒りは自分を守るための自然な感情であり、エネルギーです。確かに幼いその時、その環境では怒りを表現することは危険だったのかもしれません。しかし、大人になった今は自分で自分の身を守れるのであり、怒りを表明する権利があるのです。そのことに気づけば、理不尽な場面で自分の怒りを適切に使う”選択”ができるようになります。

ゲシュタルト療法では、気づきの3領域を自由に行き来できるようにアプローチしていきます。その中で、人間が本来持つ自律性、自分で問題を解決していく力を発揮できるようサポートをしていきます。

からだ(精神=身体)へのアプローチ

ゲシュタルト療法の大きな特徴の一つとして、心と身体を別々のものではなく、一つのものとしてとらえます。例えば、「嬉しい」という感情は、笑顔や目がぱっと開いたり、胸にじんわりとした温かさや、ある特定の感覚がひろがっていくようにして感じられます。そのように、心で感じられることは身体に表れます。裏を返せば、身体に起きていることは心の表れといえます。ふとした違和感や身体感覚、肩こり・痛みといった身体症状などは、身体が発する「声にならない声」かもしれないと考えます。

身体の感覚はとても繊細です。私たちが頭で考え、判断する以上に、身体でたくさんのことを感じています。コミュニケーションも、単なる言葉のやり取り以上に、相手の雰囲気や声色・表情など、非言語でのコミュニケーションによって、相手のことを身体で感じ取っています。しかし日常的な意識では、そのようなプロセスに気づいていないことが多いのです。

セッションでは、今ここの身体に起きていることに意識を向け、気になる特定の感覚や感情、症状を十分に”経験する”(よく感じ取ってみる、味わう)ことを勧めます。また、身体に”声を与え”、”対話する”こともします。そうすることで、分離した心と身体が統合され、本当に感じていることは何かに気づいていくことが可能になります。

 

未解決な問題

「未解決な問題」とは、過去に十分に欲求を表現できずに抑えたり、傷ついたり、自分の中で消化できないままになっている体験のことを指します。現時点の問題や症状は、しばしばこの「未解決な問題」が時間と空間を超えて存在し、「今、ここ」の出来事に対しても過去の体験のパターンに戻ってしまうことから起きていると考えます。

実際のセッションでは、安心・安全を感じられる環境の中で「未解決な問題」を「今、ここ」で再体験するという形で触れていきます。そして、その時に心残りや後悔として未完了になっていたことを「今、ここ」で表現することで完了していきます。表現することで、現在の問題に囚われることが少なくなっていきます。

人間はある欲求に気づくと、それを満たすために行動し、充たされ、また次の欲求が生まれるという循環が自然に起きます。しかし、「未解決な問題」は欲求が満たされないまま中断され、いつまでもそれが引っかかった状態といえます。ゲシュタルト療法では、その自然な循環のリズムを取り戻していきます。

 

エンプティ・チェア

ゲシュタルト療法の技法の一つとして、空の椅子に特定の人物や症状などを置いて対話する「エンプティ・チェア」という技法を用いることがあります。気になっている人間関係や、自分の症状、自分の中で対立する気持ち・葛藤を空の椅子に置き、自分の感じていることを表現します。また空の椅子のほうに座り、相手や症状、葛藤に“なる”ということもします。

エンプティ・チェアを用いることで、過去の問題を「今、ここ」で再現することができます。また、もう一方の椅子に座り、それに“なる”ことで、新たな視点での気づきが生まれます。それらを繰り返していくことで、その両極に対話が生まれ、「統合」「全体性」に向かっていきます。

哲学

ゲシュタルト療法は実存主義・現象学という哲学の原理を取り入れています。

実存主義とは、個人のユニークな存在は個人の独自な経験によって成り立っていると主張する哲学です。ここでは「実存は本質に先立つ」という定義をします。つまり人の存在の本質は、どこか高尚なところにあるのではなく、人間とは”死の恐怖”や”孤独”という現実に直面し、不安し、悩む存在である、ということです。そして、その現実と不安・恐怖に気づき、本当に受け止めたとき、「私はどう生きるか」という自分の行動に責任を持った”選択”が可能になる、と考えます。

この実存主義に影響を与えたのが現象学です。「本質は目に見えないところにあるのではなく、今ここの現象に現れている」と考えます。人を分解・分析して本質を探し出そうとするのではなく、今ここにいるその人がすべてを表現しているのであり、実際のセッションでも、そのように分析的にではなく、今ここの心と身体に起きている現象に焦点をあてていきます。

ゲシュタルトの祈り

ゲシュタルト療法の創始者のひとりであるフレデリック・パールズ(Frederick S. Perls )は、印象的なひとつの詩を残しています。

この祈りは、ゲシュタルト療法が大切にする自律的、実存的な人間観をあらわしています。

人によって、力強さや肯定されている感じがしたり、または冷たい感じを抱いたりなど、いろんな感じ方があるようです。

感じ方に正解はありません。今これをお読みのあなたには、どのように心に響くでしょうか。

I do my thing. You do your thing.

私は私のことをし、あなたはあなたのことをする。

I am not in this world to live up to your expectations.

私はあなたの期待に応えるために、この世に生きているのではない。

And you are not in this world to live up to mine.

そして、あなたは私の期待に応えるために、この世に生きているのではない。

You are you and I am I.

あなたはあなた、私は私。

If  by chance we find each other, it's wonderful.

もし、偶然ふたりが出会えたら、それはすばらしい。

If not, it can't be helped.

出会えなければ、それは仕方がない。

(参考文献:百武正嗣『気づきのセラピー はじめてのゲシュタルト療法』春秋社,2009./百武正嗣「ゲシュタルト療法」『臨床心理学』17巻4号,2017-7.)

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