(写真:臨済宗建長寺派 徳雲院にて)
最初の投稿はどうしようかと悩んでいましたが、自己紹介もかねて、enという屋号とロゴに込めた想いを書いてみようと思います。
この二つは、熟考したわけではなく、不思議とすぐに思いつきました。 なにか自分がやりたいことや表現したいことがあるときは、からだの底から言葉やイメージが湧いてくるものなのかもしれません。
enという英文字にしたのは、いろんな意味を込めたかったからです。
当初は「ゲシュタルト療法のグループをしたい」という思いが強くありました。グループセッションでは“円”をなして座ります。その円座の場、そこに参加した人々の思いや存在が、ファシリテーター(セラピスト)の力以上に大きな力を発揮してくれます。誰かの自己表現に共鳴したり、はっとさせられたり、勇気をもらったり、癒しが起きます。それがグループの良さ、豊かさといえます。 そういった場を自分でやっていきたいし、体験したいという思いがありました。 いろいろと考えて、まずは1対1の個人セッションを主体にすることにしましたが、そういったグループも、意欲的に行っていきたいと思っています。
“縁”ということの大切さも、強調してもしきれません。 人と人が『出会う』ということ、それは様々な種類やレベルがあると思いますが、「この人との出会いが自分の人生を変えた」「この人といるとき、本当に安心できる、楽しい、ワクワクする」という衝撃や何かを感じる出会いがあります。人間関係によって、私たちは傷つくことも確かにありますが、同時に人との出会いによって癒され、世界が広がり、成長していくものでもあると思います。 自分自身に対しても、ある意味“縁”といえるかもしれません。他の何者でもない私として、偶然この世に生まれたわけですから。そして他者とのかかわりや、自分の心身に耳を傾ける中で、自分のことにより深く気づく瞬間があります。そうして知らない自分自身と深く出会っていくことは、とても豊かで大切なことと思います。 enにいらっしゃる方々と、そのような良き縁をつくっていきたいと思っています。
ロゴは、禅の『円相図』をモチーフにしました。 禅では、「悟り」「全体」「真理」を象徴するものであるそうです。様々な僧侶がこの円相図を描いています。正直に言えば、禅にはとても興味はありますが、円相図についてそこまで理解が深いわけでもありませんでしたし、むろん悟ってもいないので円相図をみても何のことだかわかりません。しかしモチーフとしてどこか惹かれるものがありました。 悟りは、おそらく悩みや苦悩が解消していくことや、自己実現していくことの極致のようなものでもあるのだと思いますが、そこまでにはなかなか至れないでしょう。でも、少しずつ確実に、私たちは自分や他者、世界のことに気づき、苦悩や葛藤をこえて成長していくことはできます。ゲシュタルト療法の創始者のひとりであるフリッツ・パールズは、気づきのことを「ミニ・サトリ」と表現しました。 そのように、我々は煩悩だらけだし未完成かもしれないが、気づき生きていくことができる存在であるという思いから、少し欠けた未完了型の円相を描きました。
最後に、やや後付けですが、命や世代の“円環”の中に私たちはいるのだなと最近思います。 僕が心理療法を誰かに提供できるのは、それを大切に育み、実践してきた先達からたくさん学び、身をもって体験し、ある意味継承してきた(している)ものです。僕という存在が日々なんとかやっていけているのは、親からの愛情にはじまり、いろんな人との出会い、もらった関心や言葉、その他さまざまなものによって支えられ、形成されているからだと感じます。必ずしもきれいごとだけではなく、自分にとって苦しみや悲しみを受け継いでしまったという面もあるかもしれません。それでも、それを含めて私たちは大きな命の流れの中にいるのだなと感じます。 そう思うと、孤独だけど孤独じゃない。個という存在だけど、どこか、必ずつながっているというように思うのです。 僕自身、もっとたくさんのものをもらいたいし、もらっていくんだろうと思います。そして、もらったものを必要な誰かにわたしていきたいと思います。
最初だし、読みやすい内容にしようと思ったら、ずいぶんボリュームのある投稿になってしまいました(笑)
最後まで読んでいただきありがとうございます。
enの大切にしていることの一端として、心に留めていただけたらと思います。
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