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こころの相談室 en
埼玉県越谷市
木・金 10:00 ~ 18:00
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邂逅
最近、心理士としての仕事を増やそうと思って就活を久しぶりにしている。 普段スーツを着ることなんてないので、久しぶりなこのピリッとした感じが、心地悪いような心地良いような。 面接を受けるのは相変わらず嫌なもんで、やっぱりしっかり緊張する。 そんな変わらない自分の反応にがっかりすることもあれば、反応は脇に置いておいて、冷静に声を発して応答している自分も居たりして、今の自分のありように気づく機会になっている。 20代は、社会で生きていけないという無力感と恐怖、自身への“恥”意識が強かった。 人とのかかわり方や距離感も苦痛で、身体はいつも緊張していた。 そんな中で、もがきながら色々やってきて、積み重なってきたものが自分を支えてるんだなと思うと、生きてきたなーとか、自分への労いや信頼も感じた。 それ以上に、あの頃の惨憺たる気分を鮮明に感じたことが、何故か嬉しかった。 懐かしさというか、ああこれが自分だったと出会いなおせた、取り戻せたような。 今だからこそそう思えたんだろう。当時はとても苦しかったし否定してきた。 身体の中は時制も感覚もガチャガチャしながら、

Taro Okamoto
3月20日読了時間: 2分


何が自分を救ったのか
自分自身の心というものや苦しさと向き合わざるを得なくなってきたのは、10代の後半頃からだった。 この頃の僕は、自分に自信が持てず、無力感や劣等感の塊で、将来や社会の中で生きていくことが怖くて仕方なかった。 そこから、気づけば20年近くも生きてきた。 まだ道半ばではあるけれど、昔よりも生きることの面白さや希望を感じられるようになったように思う。 ふと、考えてみた。 何が自分を癒したのだろう。 いろんな要素があると思うが、多く思い浮かぶのは、やはり惹かれて続けてきたゲシュタルトやエンカウンターグループなど、人と人が集い、真剣に自身を表現し、対話するグループ・セッションの場面。 思い切り、感情やエネルギーを表現することができた場だった。 全身が打ち震えるほど泣いたり、怒りや叫びを表現したり、本気で他者とぶつかったりもした。 自分の弱さ醜さもたくさん晒しながら対話した。 日常や社会では認められないもの、絶対に出せなかったものを、安心して解放できた場があった。 だからこそ”生きている、生きていける”という、理屈ではない確かな手ごたえを得ていけた。...

Taro Okamoto
3月4日読了時間: 3分
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