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何が自分を救ったのか

  • 執筆者の写真: Taro Okamoto
    Taro Okamoto
  • 6 日前
  • 読了時間: 3分

自分自身の心というものや苦しさと向き合わざるを得なくなってきたのは、10代の後半頃からだった。

この頃の僕は、自分に自信が持てず、無力感や劣等感の塊で、将来や社会の中で生きていくことが怖くて仕方なかった。

そこから、気づけば20年近くも生きてきた。

まだ道半ばではあるけれど、昔よりも生きることの面白さや希望を感じられるようになったように思う。



ふと、考えてみた。

何が自分を癒したのだろう。



いろんな要素があると思うが、多く思い浮かぶのは、やはり惹かれて続けてきたゲシュタルトやエンカウンターグループなど、人と人が集い、真剣に自身を表現し、対話するグループ・セッションの場面。

思い切り、感情やエネルギーを表現することができた場だった。

全身が打ち震えるほど泣いたり、怒りや叫びを表現したり、本気で他者とぶつかったりもした。

自分の弱さ醜さもたくさん晒しながら対話した。

日常や社会では認められないもの、絶対に出せなかったものを、安心して解放できた場があった。

だからこそ”生きている、生きていける”という、理屈ではない確かな手ごたえを得ていけた。



そういったことができたのは、その瞬間に共に居てくれた人がいたからだった。

傍らで見届け、サポートしてくれ、承認してくれたファシリテーターの存在。

その場にいて、僕の表現を正面から受けとめてくれた人、ぶつかってくれた人、共鳴してくれた人。

それらの体験は、僕を深く支えている。

さまざまな理論や技法から成り立つ場ではあるけれど、結局のところ、ほんとうに大事なのは「人の在り方」だった。



また、自分自身がファシリテーターとして場に立ち、自分自身でそこに居られた時の感触も思い出す。

役割を超えて、自分が自分として生きて関われた手ごたえ。だからこそ相手に届き、互いの真に触れる対話が起きた瞬間。

そうした体験は、”この自分でいい”という自信や、正直な自分で在ることへの勇気や面白さを与えてくれた。



だから立場はどうであれ「他者との関係の中で、深く自分自身でいられた」という体験が、自分自身を救ってきたし、生きる力になっていると思う。

ひとり静かに過ごす時間、自然に触れる時間、身体を動かす時間なども、大切だ。

そういう時間も積極的に取ってきたし、自分に立ち戻れる瞬間にもなっていただろう。

そして、関係の中で自分らしくあれたことが、何よりも自分を癒したのだと感じる。

「ひとりよがりではない。たしかに他者と世界とつながって、僕は生きている。」

昔の自分が恐れて絶望していたこと、そして最も欲していたこと、だからかもしれない。



別にセッションの場だけじゃなくてもいい。

仲間や家族、大切な人と、そんなふうに生きていけたら、一番いい。

それは日々の暮らしの中でやっていくことだと思う。

そして、同じように苦しむ人が、自分を生きる手ごたえや希望を得られるような場をつくっていきたい。







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